軽く扱われるひと
こんにちは オズノ真帆です☆
人から軽く見られている気がする
そんな経験ありませんか?
私は長年この悩みと闘ってきました。
そしてあるときスッとこの悩みはなくなりました。それと同時に他の悩みも無くなりました。
もしかしたら、これが生きにくい根本原因だったのでは?と思うほど、あらゆる問題と直結していたのです。
なぜ軽く見られるのか。
それは他人の中に自分を見ているからです。
そしてなにより自分が一番自分を軽く見ているからです。
相手にどう思われるか
好かれているのか嫌われているのか
どうしたら怒られないのか
いつもそんなことばかり考え、相手の一挙一動に振り回され、ビクビクイライラ。(実体験)
私の場合はやはり親の顔色を伺っていた名残りで、ずっとこんな調子でした。いわゆるアダルトチルドレンですね。
自分の意思や思いがわからなくなるほど、親の愛がどうしても欲しかったのです。
親の期待に応えようとして、できなくて、「嫌いなことはやらない子だ」と言われ、悲しみと怒りに支配されました。自分は悲しくて怒っている、ということすら理解できていませんでした。
人との正常な接し方を知らないので、他の人間関係でも同じ。相手に合わせて「こんなにやってあげたのに…!」と最終的には怒りに変わるんです。
でも、今思えば誰も最初はそんなこと求めてなかったよね?って思えます。私がいつも全力で合わせるから、全力が通常運転なんだと相手は勘違いしただけ。
私がいつもマイペースを保っていれば、同じくそれが私なんだと相手は思ったはず。それで例え嫌われることがあっても、本当はそれでよかったんです。
人は鏡と言いますよね。
自分が自分を大切に扱えば、相手も軽くは扱えません。都合のいい人を好む人間は寄ってこないです。
自分が自分を大切にしないから、相手もそれでいいと思うんです。だって人の主観なんてわかりませんからね。
でも突然自分を大切に、と言われても困りますよね。急に実践は難しいですが、言葉にすればとても簡単なことです。
自分を大切にする
=自分を大切にしてくれる人を大切にする
自己肯定感が低くても構いません。自己肯定感が低いからこそ、自分の身は自分で守らないと都合よく使われる!位の気持ちでいけばいいです。私はそうでした(笑)
そもそも軽く扱われると感じるのは、人に期待し過ぎているんです。裏切られた気持ちになるのは期待していたから。
だから簡単に人を信じない。斜に構えろってことじゃないですよ?
「この人の明るいところは素晴らしいけど、秘密は守れる人じゃないな」
「この人は言葉選びが下手だけど、仕事ぶりは尊敬できる」
相手の特性をしっかり見極めましょう、ということです。
1人目の人なら、遊び相手には素晴らしいですが、大事なことを共有してはいけません。
2人目の人なら、会話するにはストレスが溜まるかもしれませんが、仕事仲間として大切にすればいいです。
人だけでなく、この世はグレーです。白黒はっきり、この人の全てが素晴らしい、この人の全てが悪、そんな風にはできていません。全ての面で信頼に値する人間なんてそういません。どんな人間にも、長所・短所、善・悪、相反するものが混在していてグレーです。
私もそうでしたが、この人の全てが素晴らしい!と神格化してしまったら、失望するのは当然ですよね?相手だってそんな期待はしんどいです。
短所が気にならない距離感を目指すんです。通常の人間関係はそれでOKです。
大切な人の短所を受け入れるキャパを残しておきましょう(笑)
なんか軽く扱われてる、バカにされてる、そんな風に感じたならスッと離れればいいです。
相手にそんなつもりがなくても、あなたがそう感じるなら、それがあなたの答え。居心地の悪い人にムリして合わせなくていいんです。
心地よい距離感を保てば、心地よい人だけが残ります。相手が自分から離れるかどうかは相手の責任。運に委ねましょう。それこそ縁ってやつです(笑)
自分を犠牲にするほど相手に合わせてきたんですから、自然と心地良い悪いの空気も読めるはず。
空気を読む能力を自分のために使っていいんです。あなたの価値は人に合わせなくたってちゃんと存在してます。むしろ自分らしく生きてこそ、素晴らしい能力が開花します。
自分で自分を軽く扱わないでください。
人の犠牲にならなくていいんです。
あなたが自分らしくいれることを祈って☆
自分を大切にするとは
こんにちは オズノ真帆です☆
「自分を大切にしましょう」
よく聞きますよね?
みなさんは自分を大切にできているのか、できていないのか、判断できますか?
正直、私はよくわかりませんでした←
自分を大切にして幸せになりましょう
ということなのはわかるけど、自分に甘くしても、厳しくしても、やりたい放題しても、幸せになれるわけじゃない。
それで最近わかったことがあるのです。
自分を大切にする
=自分を大切にしてくれる人を大切にする
=「まあいっか」と思える相手を大切にする
自分を大切にしろって言われても、大切にされた経験なしには方法すらわかりません。
だから親の愛が重要視されるわけです。
親でなくてもいいのです。一緒にいてくれる祖父母や保護者にあたる人から大切にされた人は、自然と自己肯定感も高くなります。自己肯定感は、たとえ自分に欠点があったとしても自分は愛してもらえる、と自分の価値を信じられることです。
自己肯定感の高い人が自分も他人も大切にできるのは、そうでない人ほどよく分かるのではないでしょうか。
では自分を大切にできない人は、大切に育てられなかったのかというと、そういう話ではないのです。
もちろん悲しいことに保護者の愛を受けられなかった人もいるでしょう。しかし、大抵は親も子も大切に育てた・育てられたと自負しているにも関わらず、自己肯定感が低いのです。
それは例えば、能力以上のことを期待されて勝手にできない子だと言われたり、褒められることが少なかったり、話すより聞く方が多かったり、意志を否定されたり。
親自身が未熟なために子を見守ることができず、過剰な期待と失望を繰り返し、その感情がそのまま子に定着してしまうのです。
子は親の言葉そのままに育ちます。
それは私自身、子育て中の今本当に痛感していて、自分の言葉が子を作り上げているんだと胸に刻んでいるところです。
「あなたならできる!大丈夫!」
といえば、子どもは本当にできてしまいました。
「あなたは苦手なのね」
といえば、すっかり苦手なまま。成長の歩みを止めてしまったのです。
私に悪意はなく「苦手なことがあってもいいよ」という寄り添いのつもりでした。今思えば、そのままそう伝えればよかったのです。
しかし、私の言葉は「できないなら仕方ない」と伝わり、本当にそのまま「自分はできないんだ」という子の気持ちを作り上げてしまったのです。
子どもは本当に素直で分かりやすいですが、これは大人も同じです
相手が自分を信じて「できる!大丈夫!」と言うなら、大人であっても応えてみせます。
しかし「おまえは本当にできないな」と言われたら、できることであっても段々できなくなるのです。
「おまえは俺がいないとダメだな」
こんな善人の顔をした毒の場合だってあります。無意識に人をダメにすることで、自分の価値を上げているのです。
付き合う人を選ぶことがどれだけ大切か、お伝えできたでしょうか?
とはいえ、大人になれば選べない人間関係もありますよね?それは適当でいいんです。「自分のため」程度のお付き合いでいいんです。
人生には限りがあるので、大切にしてくれる人との時間で人生を埋めましょう。
私もそうですが、違和感のある人ほど気を取られてしまいます。
何か気に障ることを言ってしまったかな?
もしかしたら避けられてるのかな?
思い当たることがあるなら、解決に向けて動けばいいです。どうしても気になるなら、本人に聞いてみるのもありでしょう。
しかし、相手の気持ちを勝手に想像して不安になっていても、その状態に終わりはきません。
相手が何も言わないのなら、相手の不機嫌は相手の問題です。それは自分も同じこと。
あなたの態度が本当におかしいのであれば、その人だけでなく他の多くの人にもきっと同じような思いをさせているでしょう。若いうちはそれも大事な経験です。
でも、大人になればさすがに、自分の態度だけが原因でないことも薄々わかってきますよね?
どうしても違和感がある相手は、きっとかなり気をつかわなければ付き合えない相手です。合わない相手と付き合い続けるのは、どちらにとってもストレスですよね?
そういう相手とは不安にならない距離まで離れたらいいんです。薄情でしょうか?私はそう育てられ、そうなのだと信じて闘ってきたのですが、それこそが呪いだったなと今では思うんです。
自分を犠牲にして相手の機嫌をとることが愛情でしょうか?反対の立場になって、相手が不安になりながら自分の機嫌をとってきて、幸せになれますか?なんだか、自分がとても悪い人間になった気がしてきませんか?
相手が悪いのでも、あなたが悪いのでもありません。価値観や考え方が違うのですから、合う距離まで離れたらいいのです。
それは数秘にも表れています。
既存に縛られない1
白黒はっきりさせない2
感情表現豊かな3
ルール遵守で堅実な4
柔軟で自由な5
世話焼きな6
自分の世界観をもつ7
結果重視の8
全体のバランス第一の9
直感型の11
理想が高い22
ありのままを愛する33
みんな価値観が違うでしょ?
既存に縛られない1に、ルール遵守で堅実な
4がイライラしないわけないじゃないですか。
自分の世界観が大切な7の心を、結果重視な8がそう簡単に動かせないでしょ?
年齢を重ねて、経験を積んで、大抵のことを「まあいっか」と思える位自分が成熟した時にやっと、価値観の違う相手とも分かり合えるんです。
この成熟に必要なのがまず、自分の価値を知ることです。自分の価値を教えてくれるのが、自分を大切にしてくれる人。
自分の価値を知ってどんな相手といても自分が揺らがなくなったとき、人の主観も理解することができ、価値観の違う相手を受け入れられるのです。
まずは自分を大切にしてくれる人を、大切にしましょう。それが今からでも自己肯定感を育て、結果として人を大切にできる近道です。
これは子育て中のお父様お母様にもお伝えできることです。両親の自己肯定感がそのまま、お子様の自己肯定感になります。
仕事に家事に闘う毎日だとは思いますが、夫婦や親友、お子様とのわずかな時間を大切にしてください。自分を大切にしてくれる人との時間を大切にしてください。
幼い子どもの話ではありますが、子どもは親が多少ダラしない方が心の落ち着いた子になるらしいです(笑)
それは親自身がダラけている自分を受け入れている余裕を見て、自分にそういう面があっても愛してもらえるんだ、という自己肯定感の連鎖なんでしょう。
「まあいっか」と思ってくれる人は貴重です。そう思われたら自分も「まあいっか」と思えるんです。
不安になる相手よりも、「まあいっか」と思える相手を大切にしてくださいね☆
自信とは 1%の直感と99%の努力
こんにちは オズノ真帆です☆
今回は自信について書いていこうと思います。
みなさん、自信はありますか?
「あるよ!」と答えられる方は少ないのではないでしょうか。
実際、
あると言う人ほど 実はなかったり
ないと言う人ほど 本当はあったり
あるような、ないような(笑)
ちょっとややこしい存在なんです。
数秘では
自信 = 直感を信じること
直感というのはふと降ってくる声。
ふと、なんの根拠もないのに
「こっちが正解」
ってわかることがありますよね?
私たちの心の底にある本当の願い。
私はこうありたい
私はこうなることを望んでいる
そんな自分の根幹にある価値観や幸せを満たすにはどの道が正解なのか、自分でちゃんとわかっているんです。
けど、人間はそれだけに従えないですよね。
「こっちが正解」だとわかっていても、その道を選べない。
・周りに変な目でみられるかも
・めちゃくちゃ頑張らないといけなくなる
・やりたくないことをやらなきゃいけなくなる
そんな過程を予想できてしまう。
人間の武器である知恵が、直感を邪魔してしまうんです。
この直感、なんかフワフワしたイメージですよね?
でも本当は、なんの根拠もないわけじゃないんです。神様からのメッセージ、みたいに比喩されますが、そんなフワフワしたものじゃない。
直感は経験則。
・今まで繰り返した成功と失敗
・どんな成功に価値があるか
・どんな失敗に価値があるか
・なにが私を満たす材料になるか
膨大な経験がデータとして脳にありますよね。
さらに、自分が経験せずとも遺伝子というデータも存在します。
そんな膨大なデータから、自分にとって有益な結果のためにはどう動くべきなのか、脳が反射的に打ちだしてくれる。それが直感。
こう聞くとまあまあ信頼度が上がります(笑)
問題なのは、機械的なんですよ。
結果主義といいますか、過程に生じる感情への配慮がザル。
一応耐えられるレベル
一応可能な方法
そんなザルな計算結果を出してくる。
それゆえに無視されてしまう残念な存在(笑)
「天才とは1%のひらめきと
99%の努力である(byトーマス エジソン)」
聞いたことあるのではないでしょうか?
直感は偉人たちの名言に近いと私は思うのです。
直感 = 自分の経験則
名言 = 偉人の経験則
エジソンがいう、99%の努力が大切なのは誰もが認めるところ。
でもその努力がどれほど大変かも、想像できてしまいますよね?
だから、いくら名言に頷いたとしても、行動にうつせない。
誰でもひらめき(直感)は自分の中にあります。
理屈でいうと、自分の中のひらめき(直感)を信じて、99%の努力をすれば何かしらの天才になれます。
そして、数秘的な「自分が幸せになるための直感」を信じているのであれば自信はつき、天才でなくても幸せには近づけるのです。
じゃあ、自信があるひとはみんな幸せなのか、というとそうでないタイプがほとんど。
このタイプは自分の「知識や技術」つまり「99%の努力」に自信を持っています。
私もこのタイプの人間なので「努力の天才」なんて言われたりしますが、毎度ちょっと複雑な気持ち←
だって本当に欲しいものは手に入らないから。
望んだ形に実らないのに、どこが天才なんだって卑屈にだってなります(笑)
だからこのタイプは、自信はあるのに満足できていなかったり、内心マウンティングする(見下す)ことで安心を求めたり。
あまり幸せとは言えない状態だったりします。
定年後のお父さん。
毎日家にいて鬱陶しいと、妻や子からは邪魔者扱い。なぜですかね?
きっとお父さんは家庭のためと必死に働き、そのおかげで家族は生活できた、そう思っていますよね。
では、家族に向き合えていないと分かりながらも、妻に甘えていた自覚はないでしょうか?
もしその自覚があるなら、今まで「家族に向き合わなければ」という直感を無視して「家族のために稼がなければ」という99%の努力を優先したために、「家族の愛」という大切なものを失ったことになります。
私もそうですが「努力の方向性」を間違えたんですよね。
お父さんにとって本当に大切なのは豊かさより「家族の愛」だったはず。
※もちろん現実的な限界があるので、例として極端に表現しました。
直感は厳しい助言をしてきます。
休めないときに 休んだほうがいい
大変なときほど 家族を優先したほうがいい
ちょっとしんどいときに あとひと踏ん張り
でも、直感は必ず自分のため。
安易な安心感より 先の幸せのため
絶対失いたくないもののため
絶対手に入れたいもののため
愛ある助言をしてくれます。
この助言はいつだって、
自分の甘えや弱さを受け入れろ
自分にとっての本当の幸せと向き合え
こういった、目を逸らしてるものに直面させる厳しさがあります。
逆のように見えるけど、自信がないひとも「もともとはあった」ひと。
努力の天才が、虚しさに気付いた結果です。
これだけがんばったのに
自信あったのに
全力でやって実らなければ、自信もなくしますよね。
でもこの努力の天才たちは、幸せになるための条件を99%クリアしてますよね?
残りの1%を他人の中に探してるから、幸せが見つからないだけです。
「他人の期待に応えたい」「褒められたい」「怒られたくない」という気持ちが軸になると、ろくなことになりません(実体験)。
他人の期待に応えるのは、ついでみたいなもの。
人生の中心はいつだって自分であることが幸せの条件です。
子に自己投影する(理想・価値観を押しつける)母
母の期待に応えるのに必死な子
私の親子関係ですが、よくある母娘問題です。
人生の中心というのは操縦者です。
中心に他人を置くということは、コントロールされるということ。
母は私に 私は母に
お互いがコントロールされている状態。
共依存ともいいますよね。
他人がコントロールして辿りつけるのは、その他人の目的地(幸せ)だけ。
母が私にとっての幸せを手に入れても、
私が母にとっての幸せを手に入れても、
なんの意味もないんです。
私も自分のためだと思っていた努力が、実は母に褒められたかっただけ、と気づいたのは20代半ば。
「こうしたら褒めてもらえる」は幸せに繋がる直感ではありません。
99%の努力で疲弊し、自信を失うだけです。
自分の幸せがわからないのであれば、数秘に頼ってみるのもありです。
https://tsuduri-illust.com/nodashikata
(マンガ数秘らぼ)
こちらで計算し、Sを見てみてください。
1 自分で決めたい
2 安心したい
3 私もみんなも楽しんでいたい
4 安定・安全第一
5 自由でいたい
6 きちんとした人でありたい
7 納得して動きたい
8 現実的に豊かでありたい
9 目の前が平和であってほしい
11 強く愛されたい
22 自分も世界も豊かにしたい
33 私もみんなもありのままでいたい
数字には色んな側面・解釈があるので、一言では表せませんが参考までに。
わたしの幸せは3。
「私が楽しい、みんなも楽しい」が幸せという結果でした。
あ、そっか。それでいいんだ(笑)
楽しんじゃダメって無意識にセーブしてたけど、私のガソリン(幸せ)は楽しむことなんだ!と思ってからは人生楽しい(笑)
幸せはガソリンなので、切らしたら動けません。
幸せも自信もオリジナル。他人に否定されても、その人とは違うだけの話。ダメなんじゃない、違うから合わないだけ。
数秘が自信のキッカケになることを祈って☆
自分を変える 無理をやめるということ
こんにちは オズノ真帆です☆
「相手を変えたいならまず自分を変えよう!」
一度くらい聞いたことありますよね?
私はですね、
「なんで私が??だって私間違ってないもん!」←
って思ってましたね(笑)
じゃあ変わってみる!って素直に思える方が珍しいはず。
実際私も
「じゃあ私が変わります!」
っていうよりも
「もう知らん、ひとりでいい。」
って感じでしたし(笑)
ですから今回は、
「なんで私が??」
から、
「変わってよかった!」
って思えるようになった話をしようと思います。
カウンセリングにまつわる話をしますので、もし受診しようか悩んでいる、でもどんな感じかわからなくて怖い…そんな方がいらっしゃれば参考にしてみてくださいね。
(カウンセリングを受けるメリット・デメリットは色々あるので、詳しくは調べてみてください。)
カウンセリングの考え方は参考になるよ、というだけで、受診をオススメしているわけではありません。
「自分を変える」ことは自分らしい自分を大事にすることなんだよ、ということが伝われば嬉しいです☆
私には数年間、カウンセリングを受けた経験があります。
カウンセラーがしてくれたのは、
・気持ちを受け止めてくれる
・共感してくれる
・気持ちを引き出して(質問して)くれる
これがほとんどでした。
こうしたらどう?
なんてアドバイスはされません。ひたすら否定せずに受け止めてくれました。
毎週カウンセリングルームを開けると、
今週はどんなことがありましたか?
どう思いましたか?
それはツライですよね。
じゃあどうして欲しかったですか?
そんな自分をどう思いますか?
こんな感じ。
自問自答の実践練習。
問 : カウンセラー
答 : 私
そんなやりとりを繰りかえしました。
回数を重ねると、
カウンセラーならどんな質問するかな?
と普段から想像し、些細な問題は自分で解決できるようになりました。
だんだん自分の中に、私専属のカウンセラーが誕生し、解決できる問題も多くなっていったのです。
そうすると、「自己否定」が格段に減りました。
だって、私の中の専属カウンセラーがダメな私も肯定してくれるから。
この時点で少なくとも、私の中の敵が消えました。
内に敵がいなくなると、私自身が人を否定しなくなりました。
「こういう人なのね」
「この人も未熟なのね」
そう思える。
馬鹿にしてるわけではありませんよ?完全な人なんていないことを理解したんです。
そして、関わるのが辛い相手なら、辛くない距離感まで離れることができる。
それでも相手や自分を否定したくなれば、可能な限り関わらない。なるべく意識しなくていい距離まで離れる。
自分にも他人にも、
「こうあるべき!」
「なんでこうしてくれないの?」
そんな苦しい期待をしない。
そんな選択ができる。
誰かが悪いんじゃない。
みんな自分の思い通りにならないと不満をもってしまう。
それは悪いことじゃないけど、あくまで本人の問題。
巻き込まない、巻き込まれない、それが大事。
「自分が変わる」とは
我慢しろ
忍耐力をつけろ
周りに合わせろ
そんな風に思っていたんですが真逆だったんです。
必要以上に我慢しない。
自分の感情を否定しない。
誰かのせいにしてしまうなら、そこは私の居場所じゃない。
これだけ聞いたらただのワガママですが(笑)
みんなワガママなんですよ。
自覚があるか、ないか。それだけなんです。
だからワガママでいられるもの同士で関係をきずこうよ!
ってこと。合う合わないは避けられない。
まあ最初は
「ぼっちでいい!もう病みたくない…!」
と人付きあいを諦め、無理に歩み寄るのやめた、って感じでしたが(笑)
そうやって飾らずにいると、気楽に付き合える人たちが寄ってきてくれました。
相手も無理してない、私も無理してない。毎日が楽♪
寄ってくる人は寄ってくるし、去る人は去る。
どちらかが無理しないと合わないなら、無理しない距離感まで離れる。
嫌われてたらどうしよう…
→まあ向こうが離れたなら、合わなかったってことでしょう。仕方ない。
こんなふうに人間関係に悩む時間が減るので、やりたいことに集中できます。
心配の代わりに楽しいが増える。
なんなら、本当に合う相手とも出会える!
そうしてるうちに
「ありのままでも大丈夫!」
という自信がついてきたんです。
やりたい放題ってわけじゃないですよ?(笑)
私がこうありたい、と思う姿でいるように目指してます。外見ではなく、心の在り方を。
なにも返ってこなくても気にならない、自己満足でできるラインまでしかやらない。相手を責める醜い自分を出さないで、できることをする。
そして、大切にしてくれる人を大切にする。
感謝を言葉で伝える。できるお礼をする。
できる範囲だけど、相手のしてほしい方法を選ぶ。
相手がその気持ちを受け取ってくれる人ならムリなく付き合っていけるし、違うと感じる人なら離れていく。
そういう責任の取り方をするようにしています。私の振る舞いは全て私の責任、誰のせいにもしない。
その結果、私を大切にしてくれる人だけが、私の周りに残ってくれました。
嘘みたいな奇跡ですよね!
「相手を変えたいならまず自分を変えよう!」
の正体はコレなんです。
私自身をムリにねじ曲げたりしないんです。
余計なプライドを捨てた、に近い。
大事なもの以外、諦めて捨てた。
すると肩の荷がおりた。
余裕ができて、大事なものにかけられる労力も時間も増えた。
大事なものだけに囲まれて、気持ちが満たされるようになった。
そしてこれは今まで余計なものを背負ってきたからこそ、味わえる満足感!開放感!
決して無駄な経験はない。我慢した人ほど強く実感できるはず。自信をもってそう言えます。
数秘的にいうとですね、人にイライラするのも、あるがままの自分に自信が持てないのも、ただ未熟なだけ。心が子どもなんです。
私は我慢して大人な対応をしてる。あっちが非常識!
そう思っている人ほど、心が未熟。
いい人でいたいという見栄で、周りにとって都合のいい人間を演じ、攻撃を受けないよう自分を守っている。これをペルソナ(仮面)といいます。
無理してるから不満を抱えてしまう。これが無理せず自分らしく生きるために立ちはだかる壁なんです。
壁なんていうと短所で悪いことばかり。しかし、短所と長所は表裏一体。見方を変えれば長所になり得るものです。
私は母からワガママだと言われていました。
なので、自分の意見を言うことはワガママなんだ、短所なんだと思って育ちました。
私をワガママと言う人は母も含めて「どちらでもいい」と言いながら後で文句を言う人。
私にはワガママな自覚があるので「どっちでもいいよ?」と言った上で相手もそう言うなら、と意見を出しているつもりだったんですが、そういうことじゃないらしい(困惑)。
親友たちにそんな愚痴を漏らすと「決められるのは凄いことだし、私にとってはありがたい」と言ってくれるんですよね。
そんな親友たちの言葉と数秘の結果が混ざり、
ああ私は決められる人で、誰かに決めて欲しい人、私の決断力を必要とする人もいるんだ…!
と感動しました(笑)
私の決断力はただの私の力で、
母から見れば目障りな短所
親友から見ればありがたい長所
見る人が変われば、どちらにもなることがわかりますよね?
私がまず最初にできるのは「私は自分で決める人です」という姿勢で力を隠さずにいること。そうすれば私の決断力が短所に見えない人が寄ってきてくれます。
短所に見える人を気にするより、必要とする人に力を使った方がみんな幸せだなって思いませんか?
自分を変える = 自分を見る角度を変える
→ 相手を見る角度も変わる
相手が変わる = 相手の自分を見る目が変わる
→ 相手の態度も変わる
自分がもつ力を、いろんな角度から見てみてください。
無理に隠さず必要な人に使ってあげれば、きっと何より心強い長所になってくれますよ☆
オズノ真帆 プロフィール②名前の由来
こんにちは オズノ真帆です☆
今回は名前の由来を紹介させていただきます♪
「オズノ真帆」
この名前はオズの魔法使いからつけました。
みなさん内容は曖昧でも、タイトルだけは聞いたことあるのではないでしょうか。
オズの魔法使いは魔法を使えないただの人間。
こころが欲しいブリキの木こり、勇気が欲しいライオン、知恵(脳)が欲しいカカシ。
その願いに対して魔法使いはこう言いました。
「願いを叶えるかわりに、西の悪い魔女を倒しなさい。」
もちろん魔法なんて使えません。方法のひとつを示しただけ。あげく詐欺師といわれる始末(笑)
素直な一行はその言葉を信じて、西の魔女に立ち向かいます。そして、「こころ」「勇気」「知恵」は知らぬまに培われ、自分たち自身で願いを叶えることになります。
頑張った結果はちゃんと自分の一部になるんだよ!
そんなお話。
これは数秘も同じ。
数秘はただ道を照らしてくれるだけ。
照らされた道を信じて進むか、それは自分で決めること。願いを叶えるのは他のだれでもない、自分自身。
カウンセリングも同じ。
カウンセリングを受けた経験をもつオズノですが、願いを叶えたのはオズノ自身。カウンセラーは導いてくれただけ。
それなのに、カウンセラーの存在がどれだけ心強かったか、自分がやり遂げたという自信がどれほど前を向かせるか。それをわたしは知っています。
わたしもそんな、苦しむひとの道を照らす魔法を使えたら。
そんな願いから、数秘カウンセラー「オズノ真帆」になりたいと思いました。
あたたかく見守っていただけると嬉しいです☆
オズノ真帆 プロフィール①数秘的自己分析と占い不信
こんにちは オズノ真帆です☆
数秘的に見た、わたし。
わたしの本質を書いてみたいと思います♪
ただの自己分析ですので、どんなひとなの?と興味ある方だけお読みください☆
https://tsuduri-illust.com/aboutmangasuhi
(画像はわたしのスタートになった、つづり先生のマンガ数秘らぼを使わせていただいております。)
中学にあがるまでの子ども時代
・なんでも「なんで?」
・いい子だけど頑固
・真面目で正義感が強い
・好き嫌いが激しい
・嘘が嫌い
・言いづらいことズバッと言っちゃう
そんなわけで比較的ぼっちな方でした(笑)
女子に嫌われ、男友達が多いタイプ…
LP1、D7、B9の絶妙なハーモニー…
1(自分!)と9(空気読んじゃう)のミスマッチさ…!なのにふたつとも正義感が強い…。
それに加えて7は観察魔で、理屈っぽい正論モンスター…
中身は奇数(男)しかいないのに、偶数(女)4の見た目なので、あれですよ。
共感してくれると思ってグチったのに正論で理屈攻めされた、みたいな女子社会で生き残れないタイプ←
それ以降、D7(観察分析が得意)と B9(困ったときは空気読む)が強くなったのか、おっとりと言われる程度には大人しくなりました。我が強い(LP1)のに。
賢くなったのよ!って思ってたけど、今思えば困ったときは空気読む(B9)が標準装備なんて、かなりムリをしてたのね←
現在は年齢的にも実感的にもМ8を感じはじめたところ。
楽しい!と感じれば幸せ(S3)
深ぼりがとまらない(D7)
がむしゃらに頑張れる(LP1)
それがなにか仕事になるかも?(M8)
って発想になったり。
仕事にしてみようと思ったのは、何より数秘を紹介してくれた友人の後押しがあってのことですが(笑)
数秘と出会わなければここまで自信はなかった、と思うほど。
ところで、みなさん他の占いを受けたことはありますか?ハマるひと、ハマらないひと、いますよね?わたしはハマらない方なんですよ。好きなのに。
手相・星占いなど占いをうけると、
・リーダー
・起業
・自由人
・細かいことは気にしない
と、LP1に似た強めのメッセージを受けがち。いつも半分あたって半分あたらない。(だから好きなのにハマらない)
それもそのはず。わたしの行動はD7(疑り深く神経質、リーダーよりはサポーター)。細かいことが気になる!
ここには出てきませんが核数4(LP1 + S3)なので、根本的価値観は超保守派。リーダーなんてやりたくない!目立ちたくない!
だから、数秘に出逢ったときは感動ですよ!
たかだか生年月日と名前を数字にしただけなのになんで!?(←失礼)
からの深掘り。さすがD7(笑)
せっかくわかるようになったから文章としてまとめようと思うのに、楽しめる文章を書けなくてつまずく…さすがS3(楽しい、が苦手)。
それでもLP1はわたしの運命。
リーダーになるか、ひとりでやるか。
そんなわけで、わたしはひとりで(LP1)深掘り(D7)を武器に、欲張ろう!(M8)と決めたのです。
スローライフ目指してたけど…難しいわけよね。だってGOGOタイプのM8、欲張りだもの(笑)
占い不信の方も、もしかしたら数秘はハマるかもしれませんよ♪そのためにも、なるべく楽しめるブログを書いていきたいと思います。
「言葉の意味」のカテゴリーでは、みなさんの今ある言葉のイメージに加えて、こんな視点をもってもらえたら、な人生に使える紹介をしたいと思い準備中です。
数秘的な意味合いが強いので、辞書とは少し違うかもしれません。ご了承ください。
少しでも人生のヒントになるのでは?
そんな思いでブログを書かせていただきます。
読んでいただけたら嬉しいです☆
数字の種類
数秘術で扱う数字は以下の3種類あります。
①ルートナンバー : 一桁の数字(1〜9)
②マスターナンバー : ゾロ目の数字
(11、22、33、44、・・・)
③カルマナンバー : 13、14、16、19
数秘術の計算方法は、二桁以上の数字を一桁にばらして足すことを繰り返します。
一桁の数字をルートナンバーと言い、その特徴は「数字の意味」で説明した通りです。
計算例)1989年3月21日
→1+9+8+9+3+2+1 = 33
本来この次に
3+3 = 6
と一桁になるまで繰り返すのですが、この33のように二桁で計算を終える特別な数字があります。
それがゾロ目の数字、マスターナンバー。
どこまでをマスターナンバーのまま残すかは流派や人によります。また現代では技術の発展により人との繋がりが広がりその分思想も深くなったいるため、時代とともに扱うマスターナンバーも増えているようです。
数秘術の結果として扱う数字はこの2種類になります。
ルートナンバーはこの世での現実的な役割を表すのに対し、マスターナンバーはインスピレーションを持ち、多くの人を導く神聖な役割を表します。
この2種類の数字は役割の違いを表しますが、カルマナンバーはその名の通りカルマ(業)を表します。
数秘術では前世の概念があり、この前世は文字通り捉えてもいいですが概念的な話だと私は考えます。
前世を信じようが信じまいがどちらでも構わず、それは霊感なども同じですが、イメージしやすくするためのストーリーと考えてもらって構いません。
話を戻し、カルマナンバーは前世の業を背負った数字で、前世で成し遂げられなかったことを今世で成し遂げようとしています。
自分の性質と目指す役割のギャップが大きいために、まるで業を背負ったような葛藤を抱えて苦労します。
このマスターナンバーとカルマナンバーは葛藤が強い数字です。
マスターナンバーは珍しいため持っていることを喜ばれることも多いですが、役割が大きい分苦労も大きいです。
同じように、カルマナンバーも葛藤が大きい分嫌がられますが、自分のバランスさえとれれば成し遂げられることは大きくなります。
数字自体に良し悪しはなく、自分が持つ数字を認めて向き合えばその先に喜びは待っています。
どんな数字を持っているかよりも、自分の数字を認めることが幸せへのヒントであり、数秘術の目的です。